成果

トポロジカル近藤絶縁体の特異な2次元電子状態を発見
―次世代半導体素子の省エネルギー化やスピントロニクス素子実現に一歩近づく成果―

発表のポイント

概要

大阪大学大学院理学研究科の萩原健太氏(修士2年)、生命機能研究科の大坪嘉之助教、木村真一教授、自然科学研究機構分子科学研究所の田中清尚准教授、Synchrotron SOLEIL(仏)のAmina Taleb(アミナ・タレブ)博士、高エネルギー加速器研究機構物質構造科学研究所の組頭広志教授、広島大学放射光科学研究センターの奥田太一准教授、茨城大学理学部の伊賀文俊教授らの研究グループは、希土類ホウ化物YbB12の単結品表面を原子1個レベルで平坦化・清浄化する技術を開発し、その表面電子状態を電子スピンや軌道対称性を分けて測定した結果、この物質が理論的に予測されていたトポロジカル近藤絶縁体(TKI)と呼ばれる状態であることを発見しました。この研究は、無散逸電流による省エネルギーデバイスやスピントロニクス技術への応用に役立つと考えられます。

本研究成果は2016年8月31日(水)18時(日本時間)にNature Publishing Group「Nature Communications」(オンラ イン版)で公開されました。

広島大学お知らせ
[[研究成果]トポロジカル近藤絶縁体の特異な2次元電子状態を発見 ―次世代半導体素子の省エネルギー化やスピントロニクス素子実現に一歩近づく成果―

この研究は,科学研究費補助金研究活動スタート支援(課題番号26887024)、基盤研究B(15H03676)、基盤 研究A(23244066)、および村田学術振興財団研究助成金の補助を受け、自然科学研究機構・分子科学研究所- UVSOR施設利用(課題番号26-540及び27-542)、高エネルギー加速器研究機構・物質構造科学研究所・放射光 共同利用(2015G540)、広島大学放射光科学センター・共同利用(16AG006)、Synchrotron SOLEIL standard proposal(20150291)により行われました。

研究の背景

結晶表面においては、原子が周期的に並んだ結晶内部(バルク)とは異なる様々な特異な現象が起きることが知られています。しかも、当然ながら結品表面の現象はバルクの性質の影響も強く受けています。その意味で、結品表面とは例えばグラフェンの様な純粋な2次元物質と、通常の3次元物質との境界領域に当たる、非常に興味深い研究対象です。結晶表面に現れる物理現象の中で特に注目されているのが、バルク電子状態の対称性によってその性質が定められる、トポロジカル表面状態(TSS)※6です。TSSは結晶表面の細かい原子構造や汚染の影響を受けずに常に電流が流れること(金属性)と、バルク物質が磁性をもたなくても電子の流れに依存した向きに電子スピンが向くという性質を持つことから、スピントロニクス等の次世代半導体素子への応用等を目的として盛んに研究が行われていました。

ここ数年、TSS単独ではなく他の物性、特に電子同士の相互作用(電子相関)によるTSSへの影響について議論が盛んになっています。電子相聞が強くなった時は、高温超電導や巨大磁気抵抗などの様々な特異な現象がバルクで現れることが知られており、これとTSSとの組み合わせにより、様々な新しい物理現象が理論的に予測されています。しかし、実験的には強い電子相関と密接に関わるTSSの実現は難航しており、わずかに1種類、近藤効果※7によって低温で金属から半導体(絶縁体)へ転移する、近藤絶縁体と呼ばれている六硼化サマリウムSmB6の表面においてTSSが観測され、この物質がトポロジカル近藤絶縁体(TKI)であるとする報告があります。しかしながら,観測例が限られること、SmB6の表面電子状態に関する別の解釈も考え得ること等から、この物質が本当にTKIか、すなわち電子相関によって現れるTSSが存在するのか否かに関して明確な結論は得られていませんでした。

本研究では、茨城大学でのみ単結品育成に成功している別種の近藤絶縁体である12硼化イツテルビウムYbB12単結晶表面を清浄化し、そのバルクおよび表面の電子の動きや状態、特に電子のスピンや軌道対称性に関して初めて明らかにしました。

図1 (左) YbB12の原子構造。緑(灰色)の丸がYb(B)原子を表す。(右)電子回折により得られた清浄表面の回折パターン。明瞭な回折点が得られ、清浄かつ周期的に配列した表面が得られたことがわかる。

本研究の内容

本研究では、結品劈開※8の困難さ等からこれまで清浄表面が得られていなかったYbB12単結晶について超高真空中で加熱することで清浄面を作製し、その電子状態を角度分解光電子分光(ARPES)※9法により観測しました。さらに得られた表面電子状態のスピン及び軌道角運動量偏極構造についても、スピン分解ARPES※10及び円二色性ARPES※11により調査しました。

図1に示したように、真空中での加熱によりYbB12単結晶の(001)表面からは明瞭な電子回折スポットが得られました。これは、原子1個レベルで平坦化した表面原子構造が少なくとも数十ナノメートル(nm)程度のサイズで形成されていることを示しています。

得られた清浄面についてARPES測定を行うと、図2(a)のような電子状態が得られました。この図では、色の濃い部分に電子状態(バンド)が存在することを示しています。近藤効果によって生じた半導体の性質を表すバンドギャップの聞に、電気伝導性の起源である金属的なバンドが明瞭に観測されました(図2(a)中、電子エネルギーが0meVを横切る部分)。これは、TSSがYbB12表面に出現した場合に理論的に予測される振る舞いと一致しています。

さらに、このTSS候補電子状態について、円二色性ARPES及びスピン分解ARPES測定を行い、そのスピン及び軌道角運動量傭極を調べました。図2(b)の円二色性ARPESの結果では、明瞭なコントラストが得られました。この結果は、YbB12表面状態がTSSについて予想されるようなスピン・軌道偏極構造を持っていることを示しています。

以上の結果は、近藤絶縁体YbB12の表面において、低温の絶縁相にTSSが出現し、本物質がTKIとなっていることを表しています。

図2 (a) 角度分解光電子分光により得られたYbB12表面状態の運動量(横軸)・エネルギー(縦軸)依存性。色の濃い所に電子状態が存在する。黄色線は電子状態の分散関係のガイド。下窓の曲線はフェルミ準位(0meV)の電子状態密度曲線。
(b) 円二色性角度分解光電子分光により得られた同表面電子状態の軌道角運動量偏極の様子。赤・青領域はそれぞれ逆方向に偏極している。破線は(a)で得られた電子状態の分散関係。

本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)

今回新たに発見した近藤絶縁体表面のTSSについて、詳細な表面原子構造の決定やそれに基づく理論計算との比較、あるいは表面原子1個ずつに焦点を当てた局所的な電子状態の解析を進めることで、候補物質が少ないためにこれまで理解が不十分だったTSSと強い電子相関の関係についての研究を大きく進展させることができると考えられます。このような強い電子相関物質上のTSSは、例えば次世代の半導体素子における無散逸電流による省エネルギー化やスピントロニクス素子の実現などとともに、これまで予測すらできていなかった新しい機能性の発現にも繋がるものと考えられ、今後の研究の発展が期待されます。

用語解説

※1 半導体
電子の詰まっている状態(価電子帯)と空席のある状態(伝導帯)の聞に有限のエネルギ一差(バンドギャップ)が存在する物質。そのため、バンドギャップを越えるような励起の無い状況では電流を流さない。 戻る
※2 近藤絶縁体
高温相では金属だが、低温で結晶中の電子同士の相互作用(電子相関)によりバンドギャップが形成されて絶縁体へと転移する物質の1種。電子相関の種類(近藤効果※7)から近藤絶縁体と総称される。 戻る
※3 清浄化
結晶の表面は大気中から吸着した酸素や水分子、あるいは結晶の作製・破断時に付着した油指などにより汚染されており、そのままでは純粋な結晶表面に現れる物理現象を観察することができない。そこで本研究では、大気圧の10の13乗分の1程度という超高真空環境で加熱等を行うことにより、上記のような汚染を排除した純粋なYbB12結晶表面を作製し,その電子状態の観察を行った。 戻る
※4 トポロジカル近藤絶縁体(TKI)
近藤絶縁体の伝導帯及び価電子帯を構成する電子の対称性が通常の絶縁体とは反転していた場合に実現するとされる電子状態。結晶表面には必ずトポロジカル表面状態※6を持つために電気伝導性があり、しかもその性質が電子相関により保持されることから、様々な特異な物理現象が理論的に予測されている。 戻る
※5 無散逸電流
通常の固体の中を流れる伝導電子は、結晶の不純物や原子欠陥等によって散乱を受ける。これが電気抵抗の原因となるのだが、後述のTSSを介して伝導する電子はこのような散乱を起こさないことが予想されている。そのため、ジュール熱の発生等によるエネルギー損失を非常に少なくした省エネルギーデバイスが実現可能になると期待されている。 戻る
※6 トポロジカル表面状態(TSS)
トポロジカル絶縁体の表面に必ず現れるとされる電子状態。伝導帯・価電子帯聞のバンドギャップを横切るような分散関係を持つために常に電気伝導性があり、さらに電子伝導方向に依存したスピン・軌道角運動量偏極構造を持つ等、応用面で魅力的な性質を多く持つ。 戻る
※7 近藤効果
純粋な金属は、温度を下げていくとその電気抵抗も減少するが、金属中に非常に低い濃度の磁性を持った不純物(鉄やニッケルなど)が存在する場合、ある温度以下で電気抵抗が温度の低下に対し増加する現象が見られる。この現象は古くから知られていたが、その物理的機構を1964年に近藤淳博士が初めて理論的に解明したことから、この名前が付けられている。 戻る
※8 結品劈開
原子が周期的に配列した結晶には、特定の面方位で割れやすいという性質(境開性)を持つものがある。代表的な例は食塩(塩化ナトリウム)等だが、これを用いれば簡単に平坦な結品面を出すことができるため、結晶表面の物理現象の研究にはよく用いられる。しかし、YbB12結晶には境開性がないため、本研究以前にはその表面電子状態の研究は困難であった。 戻る
※9 角度分解光電子分光
固体に光を当てて、飛び出てくる電子の角度とエネルギーを観測することにより、固体内電子の運動量と束縛エネルギーを観測する手法。固体における電子の状態を調べるための手法として近年盛んに用いられ、分解能や感度などの性能が日進月歩で進歩している。 戻る
※10 スピン分解ARPES
ARPESにより取り出した電子について、さらにそのスピン偏極度についても磁性体ターゲット等を用いたスピン偏極計で同時に測定する技術。 戻る
※11 円二色性ARPES
AREPS測定の際に右回り及び左回りの円偏光した入射光を用い、両者の信号の差を取ることで、ARPESで得られた電子状態の軌道角運動量に関する情報を得る技術。 戻る