成果

銅酸化物系のCu 1s内殻光電子分光

概要

銅酸化物系における高温超伝導現象を理解するためには、その舞台となるCuO2面の電子構造を明らかにする必要がある。今までの内殻研究は主にCu 2p準位を対象としていたが、スペクトル形状が複雑であるため解釈が難しかった。今回の研究成果は、原子の最深部に局在しているCu 1s 内殻準位に注目し、SPring-8で得られる硬X線領域の放射光(〜10 keV)を利用して、約9 keVもの結合エネルギーをもつCu 1s 内殻準位の光電子分光スペクトルを初めて観測したものである。その結果、Cu 1s スペクトルでは、スピン・軌道相互作用が無く、さらに多重項分裂も無視できるほど小さいことを見いだした。これにより、Cu 1s 内殻光電子分光によって、価電子帯における電荷移動現象を直接観測できることを明らかにした。また、銅酸化物高温超伝導体では、電荷移動による遮蔽現象に二つの成分があり、低結合エネルギー側の成分が超伝導を担う局所一重項状態によることを示した。

背景

銅酸化物系における高温超伝導現象は、図1に示す二次元CuO2面が舞台になっている。高温超伝導体の母物質では、各Cuサイトの3d 軌道が、それぞれ1つのホールによって半占有された状態になっているが、ホール同士にはたらくクーロン反発力によってホールが身動きできなくなり、反強磁性モット絶縁体となっている。ここで、面外のブロック層で元素置換などを行い、さらにホールをCuO2面にドープすると、高温超伝導が発現する。このドープされたホールの状態は、内殻光電子分光という手法で調べることができる。光電子が放出させると内殻にホールが残るが、その内殻ホールのクーロン・ポテンシャルによって、価電子帯のホールが隣接するサイトへと押し出され同様な状態が形成される。

従来、このような目的の内殻光電子分光研究は、主にCu 2p 準位を対象として行われてきた。しかし、2p軌道は角運動量をもっているため、内殻ホールのスピン角運動量との相互作用によって大きく2つに分裂する。さらに、内殻ホールの角運動量が価電子帯のホールの角運動量と相互作用することで、複雑な多重項構造を示す。このように複雑な2p スペクトルを適切に解釈して価電子帯の電荷移動現象についての知見を得るためには、数値計算の助けを借りる必要があった。

本研究では、原子の最深部に局在しているCu 1s 内殻準位に注目した。Cu 1s 準位の結合エネルギーは約9 keVもあるため、従来の軟X線を光源とする光電子分光では、実験対象にはならなかった。しかし、1s 軌道は角運動量をもたず、さらに図2に示すように価電子帯との重なりが小さいため、原子内の相互作用が単純化され、原子間の電荷移動現象をより直接的に観測できることが期待される。本研究成果は、SPring-8で得られる硬X線領域の放射光(〜10keV)を用いて光電子分光実験を行い、Cu 1s 内殻の光電子スペクトルを初めて観測したものである。これにより、Cu 1s スペクトルが直感的に解釈できる単純な形状をしており、価電子帯の電荷移動現象の研究に適していること、低結合エネルギー側に超伝導を担う局所一重項状態が観測されることを示した。

図1 高温超伝導の舞台となるCuO2面の模式図。

図2 Cu原子の主な内殻軌道の波動関数の概略図。

研究内容

実験は、SPring-8 の BL29XUとBL47XUにて行った。図3に、銅酸化物CuOについて測定した Cu 1s 内殻光電子分光スペクトルを示す。単体銅の1s スペクトルが鋭い単独のピーク形状になっているのに対して、CuOの1s スペクトルは2つのピークに分裂している。既に研究が進展している2p スペクトルとの比較から、低結合エネルギー側のピークを、光電子放出に伴ってCu 3dからO 2ρ へのホールの移動が起きたd10 L終状態、高結合エネルギー側のピークを、ホールの移動が起きなかったd9 終状態によるピークと同定した。 一方2ρスペクトルでは、このような電荷移動による分裂に加えて、さらにスピン・軌道相互作用による分裂があり、主に4つのピークからなる複雑な形状をしている。図4に、CuOの Cu 1s 、2ρ、3s の各内殻準位のスペクトル形状の比較を示す。高結合エネルギー側のd9 ピークに注目すると、2p、3s スペクトルでは多重項によって複雑な形状を示しているのに対し、3s スペクトルでは単独でほぼ対称的なローレンチアン型のピーク形状をしており、多重項分裂が無視できるほど小さいことがわかる。これによって、1s スペクトルの各ピークの位置と面積が正確に評価され、電荷移動エネルギーが Δ = 2.0 eV、 O 2ρ - Cu 3d 間の混成の強さがVfeff = 2.5 eV、 Cu の1s - 3d 間のクーロン反発がUcd = 7.6 eVと決定された。

様々な銅酸化物高温超伝導体La2-xSrxCu2O4 (LSCO)、SmLa1-xSrxCu2O4 (SLSCO)、Bi2Sr2CuO6+δ (Bi2201)、Bi2Sr2CaCu2O8+δ(Bi2212) について測定したCu 1s スペクトルを図5に示す。銅酸化物CuOと比較すると、銅酸化物高温超伝導体のCu 1s スペクトルは、全体的にピークがより非対称的な形になり、低結合エネルギー側のピークがかなり強くなっていることがわかる。特に、低結合エネルギー側のピークには、微かに肩構造が認められ、また高結合エネルギー方向に裾を引いている。そこで、図6に示すように、対称的なピーク形状を用いてCu 1s スペクトルの成分分解を行い、低結合エネルギー側のピークには少なくとも2つの成分があることを示した。肩構造のエネルギーにある成分が、内殻ホールによるクーロン力を受けて価電子帯のホールがCu 3d 軌道から同サイトのO 2p 軌道へ移動したd10 L終状態、低結合エネルギー側の鋭い立ち上がりをなす成分が、価電子帯のホールが隣接サイトのO 2ρ 軌道へと移動したd10 終状態に由来する。このように、内殻励起によって隣接するサイトより移動してきたホールは、Cuサイトを取り囲むO 2ρ 軌道に入り、Cu 3d 軌道のホールと結合して局所一重項状態を形成する。この状態は、元素置換によってドープされたホールが取る状態と同じであり、超伝導を担う伝導バンドを形成する。

図3 銅酸化物CuOの Cu 1s および Cu 2ρ内殻準位の光電子分光スペクトルと、単体銅の1s スペクトルの全体図。

図4 銅酸化物CuOの Cu 1s 、2ρ、3s 内殻準位の光電子分光スペクトル形状。

図5 銅酸化物CuOと様々な銅酸化物高温超伝導体のCu 1s 内殻光電子分光スペクトル。

図6 左:銅酸化物CuOと銅酸化物高温超伝導体 Bi2212のCu 1s 内殻光電子分光スペクトルの成分分解。右:各成分に対応する終状態の模式図。

本研究の意義

従来、CuO2面の価電子状態解明を目的としたCu 2p 内殻の研究では、スペクトル構造が複雑なため、データを解釈するのに簡略化したモデルを立てて数値計算の助けを借りる必要があった。本研究成果により、価電子帯の電荷移動現象を直接反映するスペクトルが、Cu 1s 内殻光電子分光によって得られることを明らかにした。この新しい手法は、銅酸化物系だけでなく、今後の3d 遷移金属酸化物の価電子構造の研究に大いに貢献するものと期待される。